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ありがとうございます♪説明会見たかったんですよ!
ご覧いただき有難うございます。そういってもらえると作った甲斐がありました。
関東に住んでる私には羨ましいの一言です。この暑さの中動画を制作アップしていたたき感謝感激です。沢山の方が(失礼ながら年配者が多いような)みえられているのにも驚きました。涼しくなったらまた古墳を見に奈良へ出かけるつもりです。
コメントありがとうございます。大和では久しぶりの現地説明会でした。コロナ以降初めてと思います。参加者は古墳の場合は現説に限らず古墳イベントもメインは60代の方ですね。奈良もだいぶ涼しくはなってますが未だ雑草や虫が多いので11月以降がおススメかと・・・
しかし、私の周りに古墳が好きなんて人見た事も聞いた事も無いのに現地調査説明会が有れば何処からともなく集まってくるんですね。不思議です。奈良県古墳探索してもキトラとか高松塚に他人に会う事はあっても天王山古墳や白壁古墳等で他人と出会った事ない。林の中にある富郷陵墓参考地に行ったら宮内庁の管理人に出会ってびっくりしました。
確かに僕もそれはいつも感じますね。まず誰かに石室の中で出会うなんて、ほとんどないですね私も。(逆に出会ったら怖い)(笑)現説も同じように感じてます。隠れファンって結構いるんですね。
その昔、修学旅行のバスがここの駐車場に留まった折に気が付いて「へえーこれ古墳なんだ。」と(看板に舟塚古墳と書いてあった)思ったときは、その大きさの程度から「木棺直葬」だろうなと思っていたのですが、なんと横穴式石室があったとは驚きましたよ。
ご覧いただき有難うございます。そうお感じになるでしょうね。まさか!ですよね。一応奈良県遺跡地図に古墳として載っていたりするんですが、それでもまさかですよね。植え込みの時は小さく感じましたが、玄室としてはそこそこの大きさでした。
藤木古墳もそうでしたが、こちらもしばらくの間は手厚く弔われていた様子ですし皆に慕われていた人かもしれませんね。そして名前の由来である舟が出たという伝承は木棺が出たんでしょうか。舟みたいにくり抜かれていたのかなと想像も膨らみます。そしてやはり地名や伝承は貴重な手がかりとなると、改めて感じました。小さな古墳ですが、大きな成果だったのではないでしょうか。
コメント有難うございます。樟の舟が地底にあると記録されていたようです。(斑鳩町教育委員会・斑鳩町の古墳より)ただ石室は発掘調査で石材の抜かれた際の埋土から飛鳥時代の瓦が出土しているので7世紀には石室が既に壊されていたようです。
現地説明会の動画ありがとうございます。なかなか奈良まで行けないので、ありがたいです。敷石のために古墳を掘って石蓋を抜いたのだとしたら、職人が勝手にそのようなことをするわけないし、聖徳太子の許可を必ず得ていると思いました。だとしたら、彼の身内の墓、または敵対する者の墓のように思います。
見ていただいてありがとう。ございます。このチャンネルは大和に特化したチャンネルで、他府県から、大和に来られる方や大和の古墳に興味を持っていただいてる方に、何かのお役に立てたらと思い作ってます。被葬者候補についていろいろ考えるののもいいもんですね!
ありがとうございます♪
説明会見たかったんですよ!
ご覧いただき有難うございます。そういってもらえると作った甲斐がありました。
関東に住んでる私には羨ましいの一言です。この暑さの中動画を制作アップしていたたき感謝感激です。沢山の方が(失礼ながら年配者が多いような)みえられているのにも驚きました。涼しくなったらまた古墳を見に奈良へ出かけるつもりです。
コメントありがとうございます。大和では久しぶりの現地説明会でした。コロナ以降初めてと思います。参加者は古墳の場合は現説に限らず古墳イベントもメインは60代の方ですね。奈良もだいぶ涼しくはなってますが未だ雑草や虫が多いので11月以降がおススメかと・・・
しかし、私の周りに古墳が好きなんて人見た事も聞いた事も無いのに現地調査説明会が有れば何処からともなく集まってくるんですね。不思議です。
奈良県古墳探索してもキトラとか高松塚に他人に会う事はあっても天王山古墳や白壁古墳等で他人と出会った事ない。林の中にある富郷陵墓参考地に行ったら宮内庁の管理人に出会ってびっくりしました。
確かに僕もそれはいつも感じますね。まず誰かに石室の中で出会うなんて、ほとんどないですね私も。(逆に出会ったら怖い)(笑)現説も同じように感じてます。隠れファンって結構いるんですね。
その昔、修学旅行のバスがここの駐車場に留まった折に気が付いて「へえーこれ古墳なんだ。」と(看板に舟塚古墳と書いてあった)思ったときは、その大きさの程度から「木棺直葬」だろうなと思っていたのですが、なんと横穴式石室があったとは驚きましたよ。
ご覧いただき有難うございます。そうお感じになるでしょうね。まさか!ですよね。一応奈良県遺跡地図に古墳として載っていたりするんですが、それでもまさかですよね。植え込みの時は小さく感じましたが、玄室としてはそこそこの大きさでした。
藤木古墳もそうでしたが、こちらもしばらくの間は手厚く弔われていた様子ですし皆に慕われていた人かもしれませんね。
そして名前の由来である舟が出たという伝承は木棺が出たんでしょうか。舟みたいにくり抜かれていたのかなと想像も膨らみます。
そしてやはり地名や伝承は貴重な手がかりとなると、改めて感じました。小さな古墳ですが、大きな成果だったのではないでしょうか。
コメント有難うございます。樟の舟が地底にあると記録されていたようです。(斑鳩町教育委員会・斑鳩町の古墳より)ただ石室は発掘調査で石材の抜かれた際の埋土から飛鳥時代の瓦が出土しているので7世紀には石室が既に壊されていたようです。
現地説明会の動画ありがとうございます。なかなか奈良まで行けないので、ありがたいです。敷石のために古墳を掘って石蓋を抜いたのだとしたら、職人が勝手にそのようなことをするわけないし、聖徳太子の許可を必ず得ていると思いました。だとしたら、彼の身内の墓、または敵対する者の墓のように思います。
見ていただいてありがとう。ございます。このチャンネルは大和に特化したチャンネルで、他府県から、大和に来られる方や大和の古墳に興味を持っていただいてる方に、何かのお役に立てたらと思い作ってます。被葬者候補についていろいろ考えるののもいいもんですね!